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2008年8月

2008年8月 5日 (火)

『マンデラの名もなき看守』 背景が気にかかる

 アパルトヘイトを廃止に追い込んだ、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラが投獄・軟禁された1968年から30年間、検閲係として接していた看守のお話。
 監督が『ペレ』のビレ・アウグスト、看守にジョセフ・ファインズ妻にダイアン・クルーガー、正攻法で作られた力作。マンデラ釈放までの境遇や南アの白人社会の意識など大変興味深いし、当時の映画のような色調や風俗の映像も素晴しい。
 ただ、少年の頃黒人の友人がいたにもかかわらず差別する大人となった看守が、マンデラの人柄と情熱に感動していく交流のプロセスがイマイチ深くないので感動するまでいかない。
 20世紀後半の世界でこのような狂気の国家体制を支えていた産業や政治構造まで少しは触れないと説得力に欠ける。

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2008年8月 3日 (日)

『靖国 YASUKUNI』  右も左もファシストにご用心

 日の丸をかかげた軍服はちまきの男が参拝する姿を延々と追う長いショットよりはじまるこの作品。被写体に対する価値判断をあえて避けているようなタッチで、境内を訪れる人々や周辺で起きる風景をできるだけ丁寧に記録していく。刀鍛冶にも、長い時間をかけじっくりと人柄に迫ろうとしている。それぞれ立場の異なる人々を理解しようという誠実なスタイルが成功していると思う。
 最近書店で平積みになっている偽書(南京事件や従軍慰安婦が嘘と云うような)を真に受けロクな知識しかないものには『反日』にみえるだろう。
 プログラム(福岡ではパンフレット)は土本典明と監督の対談、佐藤忠男の評論、参考文献の紹介なども含め至れり尽くせり、情報満載、素晴しいものである。

 印象に残るのは、まずいくつかの屁理屈。
 「二度と戦争をしないための参拝」と云う小泉純一郎。
 武装姿の集団やアメリカ人中国人と云うだけで強い嫌悪を表す排他的な人たち、普通に考えて平和を望んでいる人々が参拝しているとはとても思えないのだが。過去の海外侵略が正しかったとする遊就館もまたしかりである。
 ラッパもまもとに吹けない軍服姿に、どうして旧海軍陸軍OBは抗議しないのだろう。退役軍人が拝受した勲章を胸の参拝なら理屈はとおるが、軍人になったこともない人間が軍服を着る無作法に、大日本帝国海軍陸軍に対する冒涜だと、なぜ怒らないのだろう。
 石原慎太郎の「天皇陛下にも参拝を」もバカな発言で、東京裁判での天皇とA級戦犯の関係を考えれば、A級戦犯に頭を下げるなど昭和天皇にとって立場上絶対にできないことで、天皇の都合さえ無視してかかっている屁理屈である。
 このような理不尽さ屁理屈が、<右>と云うより<ファシズム>の本質なのである。

 理屈から云えば右(天皇制)にしろ左(共産主義・社会主義)にしろ主義は手段であり方法で、目的ではない。目的は国民の幸せ<国民が健康で安全な人生を全うできること>である。権力さえ握れば、民の幸福はそっちのけで権力者の幸せ・都合だけを追求するのは、大雑把な定義だがファシズムである。
 ソ連や東ドイツが失敗したのは、ファシズムが行き過ぎ国民の反発をくらったからで、社会主義が間違っていた訳ではない。

 維新の志士たちは天皇のことを玉(ぎょく)と呼び、<玉を手中に>すれば天下を取れると抱え込んだ。戦国大名が上洛し天皇のお墨付きをもらうことと同じである。
 徳川幕府をクーデターで倒した明治政府は、薩長中心の下級武士出身が多かったため、徳川270年の威信にかわる権威として神社のシステムを利用した。江戸時代各藩が独立国家だった日本にも、どの家にも先祖を奉る神棚、地域には土地の先祖を氏神として奉る神社があったからだ。国民自身の祖先の頂点に天皇を据えたシステムで、それまでの眼に見えない抽象的な神にかわって、生きている神なので現人神とした。
 もともと仏教に帰依する伝統の天皇を神様にしたこの国家神道、明治になって作り出された新興宗教である。日本の1300年の歴史をみればよく分かる。

 権力を揮うときは天皇を陰から操り、非難がくれば天皇の後ろに隠れる。天皇の一人歩きを決して許さない。『仁義なき戦い』の山守組<神輿>と同じで、菅原文太の名台詞「神輿が勝手に動いちゃいけんのよ」である。全権を持てると誤解した明治天皇に伊藤博文は、大日本帝国憲法発布のときかなんかに、「陛下は我々のいうことをきいていれば間違いない」と、やんわりと釘をさしたくらいである。
 天皇を利用した大日本帝国くらい不敬はない。これもファシズムの特徴なのである。

 明治政府が作った大日本帝国は、国策が天皇の意思なのか首相はじめ政治家たちの意思なのか曖昧にしたシステムのため、上意下達という軍隊の命令系統がないがしろにされる。
 作戦をたてる連中は、上層部に逆らっても結果オーライと考え好き勝手にやりだすわ、戦闘に参加する下っ端は、国民の貧困などの失策を天皇の意思とは考えないで、とりまきの政治家軍人の責任と捉えテロに走るわ、軍隊はもう暴走するしかなく自国民だけでも300万人を殺してしまった。
 1945年大日本帝国は、1889年の憲法発布からだとわずか56年で滅んだわけである。
 
 ところが、民主主義の世の中になってもファシズムは死なない。
 一番よい例が岸信介である。
 生きて虜囚の辱めを受けず、国民に<鬼畜米英>に対する特攻隊などの自爆テロや、銃後にも玉砕まで強要しておきながら、アメリカが権力を握ると米軍が駐留する国で首相になり、今度はアメリカの走狗となって米軍の助っ人に成り下がるがごとき国づくりを指導した。彼を国賊と云わずして誰が国賊なのか。靖国に眠っているつもりの英霊にこんな失礼な人生はない。

 父親や兄弟が靖国に眠っていると信じる家族が参拝するならまだ理解できるが、信教の自由さえ無視し、望まない故人を勝手に奉るなどという神社の姿勢も、右ではなくファシズムである。
 
 秀作だが地味なこのドキュメンタリ−をここまでヒットさせた功績は、いったんは上映中止にしマスコミに社会問題として取り上げさせ、首相の言質までとった(のが策略だとしたら)アルゴの社長と、イチャモンつけた女性議員たちである。深謀遠慮にみごとはまった議員たちが間抜け。
 ソクーロフ『太陽』は、そばに大人のオモチャ屋があるような、東京三原橋の元ポルノ映画館で上映されたにもかかわらず、無視されたため<かわった映画だね>くらいの印象しか残されなった結果を考えれば、知らぬ振りをしていれば<ユニークな映画の話題>ですんでいたものを。

 ファシスト議員たちが、この作品に嫌悪感をおぼえた理由はよく分かる。
 かれらは、靖国神社に参拝するといっても見てくれだけは上品な同好の人たちと集い、『海ゆかば』を合唱するくらいのセレモニーに参加する程度で、この作品を観るまでは参拝する人々の実態までは知らなかったろう。参拝者たちのグロテスクさを見るに及んで、「こんな下品な連中といっしょにしないでよ!」てな気持ちになったのだろう。
 蝦蟇が鏡を前におのが姿の醜悪さに脂汗タラタラの図である。

 ラスト、空撮のカメラが闇に浮かぶ靖国神社の俯瞰から取り巻く東京の夜景へパンしていく。ぞっとした。ファシズムは今、企業ファシズムとなって21世紀の日本を支配しているからだ。それはまた別のお話。
 

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