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2008年9月

2008年9月30日 (火)

『トランスアメリカ』 <小さな映画>の楽しさ

 トランスセクシュアル(生まれもった性に違和感を感じ性転換手術を望む)の中年男が、手術直前になって、若かりし<男時代>につき合っていた女性が生んでいた息子と珍道中するハメになるお話。
 低予算作品ながら、ユニークなアイディアを生かした見応え十分の佳作。『リトル・ミスサンシャイン』『サイドウェイ』『ジュノ』など、最近アメリカ映画はこの手の地味な作品の方が面白いなあ。
 なにより、ドラマがしっかりしています。

 成功の一番の要因は、ヒロイン(ヒーロー?)の造形。20年前のジュームズ・ウッヅを貧相にしたような風貌や筋肉質の二の腕、ぎこちない声色、困った時に見せる大股開きなど、フェリシティ・ハフマンが、実際のトランスセクシュアルにリサーチした存在感を見事に作り上げている。世評の高い『メゾン・ド・ヒミコ』、ちゃんとリサーチしたのか知らないが、入所者や施設のリアリティがなく興ざめでした。

 主人公の恋愛事情を扱わず、過去の人生に対する責任を全うしていくストーリーに絞り込み、ロードムービーにしているのも面白い。母親に自殺され継父に性的虐待を受け両刀使いになった息子を、素姓を開かせないまま、理解していこうと四苦八苦する。
 ストーリー展開や出会う人々とのドラマも自然。
 メキシコ料理店のウエイトレスで稼ぎながら、大学で学位をとり教職につきたいくらいだから、きわめて知的な主人公。刑務所暮らしを経験したネイティブアメリカンの中年男に上品な恋心を寄せられるシーンもホロっとくる。
 久しぶりに<女として>里帰りし両親を嘆かせ、愛人だと勘違いしたティーンエージャーが初孫だと分かり、俄然態度がかわる母親。教会のボランティアだと思っている主人公の優しさに息子が気がつき、愛情に応えるためベッドで言寄るおかしさ。

 <性のあり方>が多様なため巻き起こる騒動を、優しく見つめながら描いている。作り手の、登場人物たち個々人の背負った人生に対する敬意があってこそ作れた作品。

 ドリー・パートンの歌も素晴しい。

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2008年9月 9日 (火)

福岡の映画館主の方々、<入れ替え制>を止めてください

 最近の映画は、どうしてこう記憶に残らないのだろうと考えていたら、一度しか観ていないことに気がついた。東京では10数年前までロードショーでも2度続けて観られた。
 『スターウォーズ』を初めて観たとき、クライマックスの戦闘シーンをもう一度楽しみたくて、『未知との遭遇』も、クライマックスのUFO乱舞を観るため、続けてみた。『スティング』は、2回観て最後のひと勝負に出る前レッドフォードが<口になにか挟む>意味を知り、『叫びとささやき』は大変若かったせいもあるが、続けて観てやっと姉妹たちの苦悩を理解できた。
 
 今は続けて観ようとすれば、当然ながら2倍の料金がかかる。
 お客をバカにしたこんなアンポンタンな制度がいつから始まったのか。
 
 一回しか観られない<入れ替え制>に対して、自由席で何度も観られるシステムを業界用語で<流し込み>と云うらしい。ちなみに、切符売り場を<テケツ(チケットのなまり)>、切符の半券を切る係を<モギリ>。今も云うのかしら。この制度では中央部に白いシートカバーがかかった指定席があり、通常の料金の半額くらい?の指定席料金を余分に払えば利用できた。時間と座席が指定されているので、予約することもできるし。空席があればいつでも利用できた。混雑が予想される場合、並ばずに観たい場合に重宝な手段、一回目は指定席で鑑賞し2回目は自由席で観ることもできた。
 
 全席入れ替え制を始めたのは、おそらく70年代に始まった岩波ホールだろう。東京のロードショー館として席数が200席と小さく、未公開の選りすぐりの名画の上映を始めた。また、シネマスクエアとうきゅうなどが似たようなコンセプトでオープンした。この2館でかかった作品は、日本広しといえども、ここでしか上映していなくて毎回ほぼ満席なので入れ替え制も納得できた。
 90年代、入れ替え制のアメリカ式シネコンが全国に広まり、日本企業経営の劇場も追随した結果、現在のようになったよう。
 
 現在、ロードショーの売り上げの9割が首都圏だと云う。つまり、博多はじめ地方はどこでも閑古鳥が泣いている訳だ。そのような地方映画館の現状で、満員になる場合を除いて、入れ替え制にしている意味はほとんどない。だったら、混雑する場合以外は入れ替え制を止めて、観たい客には何度も観せた方がいいと思う。喜怒哀楽をともにするには、お客は多いほどいいのだ。
 福岡の館主の方々、ぜひ考えていただきたい。損はないはずだ。

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2008年9月 2日 (火)

『ダークナイト』 西新宿のジョーカー

 1989年のティム・バートン監督『バットマン』は、渋谷パンテオンで観た。アメリカの大ヒットが社会現象化して、ニューヨークの劇場前でお客たちが歓声を上げているのがニュースで流れた。そのノリノリを体験したくて集まった満員のパンテオン、ジャック・ニコルソンの悪ふざけのようなオーバーアクトに、バットマンTシャツを着た日本の若者たちが面食らったようにシーンとなった呆然ぶりがやたらにオカシク、笑いをかみ殺したことがありました。
 次の『リターンズ』は秀作。ペンギンにダニー・デビートと云う危ないキャスティング、美しく芝居の巧いミシェル・ファイファーのキャットウーマンも秀逸。ミシェルがバットマンに手を掴まれ「いやん、痛〜い!」とスキを作り、ケリを入れるシーンなど傑作。
 バートンワールドの中で、化物たちの悲哀と悲劇が素晴しいファンタジーになっていた。

 本作。なんとも世知辛いバットマンになったものだ。
 ゴッサムシティを現在のニューヨークに模したイマジネーションの上に作り上げたファンタジーだが、バットマン・ジョーカー双方の超人ぶりがどの程度が分からないので、アーロン・エッカートとヒロインがジョーカーにいつの間にか捕まっていたり、お話がはなはだご都合主義で興を削ぐ。
 『ノーカントリー』のように、ヒールの思いのままにテロが続く状況と説明不足を<不条理が混迷する現在のアメリカを象徴している>などと解釈するコジツケ批評がどこからか聞こえてきそうな作風。
 ドラマをちゃんと読み解いた上で論理的に理解できる範疇を越えたこのような批評はうんざりです。

 まあ、いつの時代にもこの手の妄想批評は存在しておりまして、中でスゴイのが〜『七人の侍』は<日本の再軍備>を、『用心棒』は<米ソ両国の代理戦争>をシンボリックに伝えている〜てな表現です。
 そんな妄想なら、わたくしでもできる。

 1990年、西新宿に都庁庁舎が完成した時、CNNニュースで、丹下健三先生の手になる外観と大きなホールを紹介しながら放ったコメントが「みなさん、ここはゴサッムシティではありません!」。
 なんというCNNの予知能力! 今、ここの主のジョーカーのような狂気と気持ちの悪い笑顔を思うと、唸ってしまう。障害者や外国人・女性に対する差別、都民の税金を使った豪遊、「北朝鮮に自衛隊を派遣して拉致被害者を<『風とライオン』のように>に取りかえしてこい」。
 一方で、築地市場を毒の染み出る豊洲埋立地に、利権のために無理矢理移転させようとしている姿は、まさにペンギンだね!

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2008年9月 1日 (月)

『おいしいコーヒーの真実』 テレビじゃ教(おせ)えてくんない

 コーヒーの美味しさの謎を追うグルメものかと思ったら、フェアトレードのあり方を問う社会派ドキュメンタリーだった。原題『BLACK GOLD』、コーヒーは膨大な利益を生み出す金だが、果たして生産者の境遇は・・・。

 世界中で1日当り20億杯(そのうちアメリカ人が4億杯)飲まれているコーヒーは、年間の売上げが8兆円を越える。ところが価格がブラジル産を対象とするニューヨーク先物取引市場の基準で決まるので、アフリカやイエメンなどの市場もあおりをくらい、多くの生産者が異常な安値で買われ、貧困に陥っている。
 コーヒーが国家輸出額67%に及ぶエチオピアでは、1日8時間手作業で豆を選り分けても50円くらいしかもらえない。20年に渡って外国から援助を受けているが、高く売れる芥子の栽培に乗り換えざるを得ない農民も出ている。
 生産者の過酷な現状を紹介しつつ、エチオピアで7万の農民をかかえる地域の農協の代表が、少しでも高い値で売るため東奔西走する姿を追う。
 ネスレやスターバックスなど大企業が、生産者を貧困に追いやっても、安く買い叩くことで巨万の冨を得ているシステムが浮かび上がる。巨大企業はノーコメント。
 わざわざ映画館まで足を運び、高いお金を出してまで観る価値のある作品。
 
 昔の寄席で、吉原で女郎を買うシステムを事細かに説明するシーンやなんかに、噺家が「学校では教(おせえ)てくんない」と笑いをとっていたように、まさに、この作品の面白さはテレビでは観られない、<教えてもらない>情報に満ちている。『ディア・ピョンヤン』『ウリハッキョ』『蟻の兵隊』『靖国YASUKUNI』『シッコ』『スーパーサイズ・ミー』などの秀作もそうでした。
 <テレビでは教えてもらえないこと>を並べてみると、テレビの情報だけでは決して世界の実情は見えないことを痛感する。

 北朝鮮の庶民や北朝鮮籍の在日の人々が、毎日普通の生活を送るのに大変苦労していることや、戦争の加害もちゃんと報道してくれないし、なにより<企業の悪>を観ることは出来ない。

 ここ数年コマーシャルを大量に流しているアメリカの生命保険会社は、『シッコ』を観てもらっては困る訳だ。食べつづけると嘔吐したり精力減退するハンバーガーのマクドナルドにとって、『スパーサイズ・ミー』は不買運動以外の何者にも映らないでしょうね。

 『蟹工船』が大ヒットらしいが、現在の蟹工船であるトヨタ工場の実態は取材されない。秋葉原の通魔事件と関係あろうがなかろうが、労働者を部品並に使い捨てする現状があるにもかかわらず。
 小売業の廃業が続き商店街が<シャッター通り>になったニュースでも、大規模ショッピングセンターの進出が、地域の小売業を根絶やしにしている事実を紹介しない。
 地球温暖化や二酸化炭素の増加を心配するくせに、原発がなくても電力に困らないことや、原発の近くで草花や魚の異常がみつかっていることも報じない。
 テレビに大きな広告料を払っているからである。企業の広告は自社製品の販売促進が目的だが、一方で不都合なニュースを口止めする役割もある。その広告料によって、キー局で30歳過ぎ、ローカル局はで40歳前で年収1000万円の高給を支えている。

 福岡でも名画座形式で特集を組んでもらえないですかね。『スーパーサイズ・ミー』『おいしいコーヒーの真実』の2本立てや、『ゆきゆきて神軍』『蟻の兵隊』『ヒロシマナガサキ』の戦争特集、『ディア・ピョンヤン』『ウリハッキョ』『ハルコ』在日コリアン特集なんてのは、大変勉強になると思うのだが。

 

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