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2008年11月

2008年11月26日 (水)

『リダクティッド 真実の価値』 デ・パルマの告発状

 これはまたキテレツな作品である。既存の映画に似たような作風が見つからない。未見だが、監視カメラの映像だけで描いたジョージ・ルーカスの短編『THX1138』(学生時代の作品でロバート・デュバルは出ていない)に近いのかしら。まさに実験作である。全編をワンショットで繋いだ(ように見せた)ヒッチコックの『ロープ』、ハードボイルドの一人称を馬鹿正直に捉え、カメラアイを全編主人公の見た眼として描いた、ロバート・モンゴメリー『湖中の女』などと並ぶようなユニークさである。
 これを普通の劇映画のつもりで観ると駄作にしか思えないが、ブライアン・デ・パルマと云う優れた映画監督の本質が理解できれば、この問題作に込められた巧妙な狙いが見えてくる。

 ブライアン・デ・パルマ、1940年生まれ。コッポラやスコセッシと同世代。若いころリアルタイムで封切りを楽しみにして観た『キャリー』『愛のメモリー』『殺しのドレス』『ミッドナイトクロス』が大好きだ。なにより、ヒッチコック先生にならって、言葉を当てにしない映像の構成によるサスペンス技法が素晴しい。『キャリー』のプロムナイトでロープの先をカメラが蜿々たどっていくと臓物入りのバケツが見えるショット。『殺しのドレス』の美術館でアンジー・ディッキンソンを男が追いかけるカットバック。いかにも映画少年がそのまま監督になったような作風は、若いファンの心を掴んだ。
 テクニシャンのデ・パルマであるが、華麗なテクニックに溺れず、物語を分かり易く伝えていく映画監督の本道を決して踏み外さない。遊びながらも抑制をきかせることのできる大人の監督なのだ。
 だからこそ、大作の監督としてプロデューサーの信頼を得てきた。『アンタッチャブル』しかり『スカーフェイス』しかりで、デビッド・マメットやオリバー・ストーンの名脚本を得て、2作とも堂々たる名作に作り上げている。
 そして、デ・パルマがほかの売れっ子監督と大きく異なるのは、戦争をちゃんと市民の立場から評価できる健全な歴史観を持っていること。<戦争>なるものが市民同士の殺し合いでしかなく、<国家のために戦場で戦う>ことの嘘を見抜いている。コッポラやイーストウッド、オリバー・ストーンでさえ持っていない資質である。

 映画表現の達人であり、正しい戦争観を持っているデ・パルマのこの新作。きわめてユニークなのはキャメラアイのありかた。通常の映画は、原則としてキャメラの前で演じることによって成り立つ。キャメラは存在しない視点で、コメディでもないかぎり無視される。ところが、本作ではこの約束がない。すべての映像が2008年のアメリカに存在するさまざまな映像を通して描かれる。
 兵士の一人がUSC(南カリフォルニア大学:ルーカスら有名映画監督を輩出)の映画学科に進むために撮影するビデオ映像をはじめ、アメリカやイラク、アラブ圏のニュース、監視カメラ映像、フランスの映画監督によるドキュメンタリー、ゲリラのホームページの動画などを通してストーリーが語られる。映画が始まって15分くらいで<お約束>は見当がついたが、事実描写よりイメージ優先のようなフランス製ドキュメンタリーで、ヘンデル(かの『バリーリンドン』でも有名な)が流れてきたときは、正直さすがのデ・パルマも耄碌したのかと思った。しかし、この監督一筋縄ではいかない。
 音楽はラストの被害者たちのスチル写真だけ。ここではじめた劇映画としての音楽がレクイエムのように流れ、エンドタイトルがサイレントになる。黒澤『生きものの記録』みたいである。
 観終わって、監督はこの大変奇妙な映画をいったい<誰のために作ったのか>に考えが及んだ時、作り手の真意に気づき大いに驚いた。唸ってしまった。
 本作は完全にアメリカ国民だけに向けて作られた、外国人を初めらから計算に入れないローカルムービーである。アメリカで日常眼にする映像メディアで作られているから。通常のドラマ形式にしなかったのは、『カジュアリティーズ』の二番煎じを避けたというより、観客の心理を計算にいれて、観終わって映画館を出て日常生活に戻ったとき、観客にイラク情勢の現実のニュースが、<リダクティッド(修正)>されたものであることを思い出させ、報道されない現実を想像させるためだ。アメリカ国内のニュースがアメリカに有利な世界観でしか伝えていないことを気づかせるためなのである。映画館の中で、フィクションとして完結するより、ボディブローのように、じわじわと生活の中で真実に眼を向けさせる手法を選んだ訳だ。
 デ・パルマは、映画表現の形式さえもかなぐり捨てて、映画と云うマスメディアの持つ特性を生かして、アメリカの観客に<テロとの戦いが実は市民の虐殺でしかない>イラク侵略の惨状、悪行を告発しているのである。

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2008年11月14日 (金)

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢』 堪能しました

 80年頃、淀川長治がニューヨークで『コーラスライン』を観てきて、姿見のような鏡を並べただけのステージで展開するこのミュージカルを絶賛していた。5・6年後リチャード・アッテンボロー監督の映画版が登場、インタビューで浮かび上がるリアルな人間像が面白く佳曲揃い(マービン・ハムリッシュ)、日本ではほとんど無名の役者たちの歌やダンスに感動した。オリジナルの演出を楽しむために、日本青年館で前田美波里が子持ちで盛りの過ぎたシーラ役として出ていた劇団四季のステージも観たが、キャスト全員のダンスと歌唱力(今云うところのパフォーマンス)が見劣りした。
 ミュージカルのバックで踊るラインダンサー8名のオーディションに挑戦する若者像を描くお話。舞台でも映画でも『コーラスライン』を観て登場人物やナンバーをあるていど理解していないと面白さが十分伝わらない一方、知っていれば見所が次から次へと出てきてあっと云う間に90分が終わる。
 原題『Every little step』は、劇中歌『One』の『every little step she takes 』から。合格までものすごい量のステップを踏むわけで、その<ひとステップひとステップ>の意味だろう。
 まず『コーラスライン』のメイキング的面白さ。自らがバックダンサーだったマイケル・ベネットが仲間を集め録音した会話から発想したことに驚いた。ゲイ、母子家庭、父親の浮気、教師によるイジメ、整形手術など生々しい若者たちのスケッチがリアルなわけで、ピュリツァー賞戯曲部門を受賞。
 メイキングとオーディションが平行して描かれる重層的な構成も見所だ。
 オープニングは、自称ダンサーが受験資格で、大勢の中から少しでも才能のありそうなダンサーを選びだすシーンに、「I hope I get it」(この仕事が欲しい)が流れてくる。オリジナルとダブってゾクゾクする。
 それぞれの役が種目だとすると、まるでオリンピックのようなトップを目指す競争も、このドキュメンタリーの醍醐味。ひとつのキャラクターを個性のまったく異なる役者たちがを、同じ歌や芝居を演じる。カットバックで交互に出して、パフォーマンスの違いを楽しめる編集が素晴しい。『カーリー・スー』の主演した女の子以外、一人として知らない役者たちの、パフォーマンスの質の高さと多様な個性、キャラクターと本人の人生がダブル役者もいる。そのモザイク的が描き方も簡潔で効果的。
 初演から関わっている、選ぶ側の演出家やプロデューサーたちが、ゲイ役の芝居に一人の観客に戻ったように落涙するのは名場面です。 
 ニール・サイモン夫人だったころのマーシャ・メイスンの意見でラストが変わったエピソードも興味深い。
 やがて、それぞれの役をたった一人が獲得し、すべてが終わる。『What I did for love』が勝者敗者の苦闘を慰めるように流れる。
 キャナルシティでもソラリアの名画座でもよいので、アッテンボロー『コーラスライン』と本作で番組を組んでくれないかしら。                  

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