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2009年2月

2009年2月11日 (水)

『旅立ちの時』 心でつくるルメット

 『十二人の怒れる男』『質屋』『オリエント急行殺人事件』『評決』、どちらかと云うと強面の社会派作品や、ミステリーがお得意なシドニー・ルメットが、こんなかわいい小品を作っていたとは知らなかった。名画座全盛の時代だったら、ふらっと立ち寄った名画座で予備知識なしに観て、首ったけになるようなタイプの魅力ある映画だ。
 ベトナム戦争真っただ中の1971年、ナパーム弾を製造していた大学の研究所を爆破し、警備員を失明させた若夫婦(『普通の人々』の医者ジャド・ハーシュ、よく知らないクリスティン・ラーチ)は、15年間二人の子供を連れて、各地を転々としながら逃亡生活を送り、すっかり中年になっている。17歳の長男は、新しい土地でピアニストの才能を見いだされ恋人もでき、自分の人生を歩み出したくなるが、果たして両親は・・・。
 感受性豊かなリヴァー・フェニックスの青春模様だけでなく、今では放射性廃棄物処理問題など草の根的な市民運動を進めている、両親のドラマも面白い。

 父親は、両親がソ連から移住してきたコミュニストで、ロックはいいがクラシックはブルジョワ的だと云うカタブツ。母親の実家は裕福な家庭で、彼女の母親が全米心霊協会会長なる不思議な設定。ジュリアードを出てピアニストを目指しているうちに、夫と知合いピアニストの方は諦めたが、DNAが長男に受け継がれている。
 FBIから逃げるため、死亡欄から架空の名前を借り、社会保障証などの交付を受けているだろう。仲間から資金を得たり車を交換したりして、素顔を隠した人生を送っている両親だが、子供たちが素直に協力する姿がいじらしい。両親の生真面目さが推測できる。おそらく、20代前半の理想をそのまま追い求める気質を、中年になっても捨てきれないのだろう。
 かつての仲間が訪れ銀行強盗に誘われるが、夫は断る。妻の元カレらしいこの男も、暴力革命なるものをいまだに信じているらしい。一夜の宿を提供した夫が、60年代のヒット曲『オー プリティウーマン』を唄いながら泥酔して帰宅する。

 ♪ 可愛い彼女 通りを歩いてる彼女
   可愛い彼女 知り合いになりたいタイプ
   可愛い彼女 信じられない 君は夢か幻
   君ほどカッコイイ子はそういないよ
 
 いい年した中年親父の、少年のような妻への想いが、可笑しくもホロとっくる。

 リバーがガールフレンドのマーサ・プリンプトンを母親の誕生日に招き、みんなでジェームス・テイラー『ファイアー・アンド・レイン』を合唱する。両親の思い出の曲が、長男の心情と重なる選曲の巧さ。
 ♪ 燃え盛る火、降り注ぐ雨、
   決して曇ることない晴れた日々、
   たった一人の友達さえいない孤独の日々
   そんな明暗の日々があっても、ずっとまた君と会えると思っていた 
 
 80年代のティーンのマーサだが、父親が音楽教師だからだろうか、幅広い範囲の音楽を彼女が知っており、この家族が気に入る資質の持ち主で、古い言葉だがリバーのベター・ハーフ的な感じもする。

 ジャガイモのようなジャド・ハーシュもいいが、美しいクリスティン・ラーチが素晴しい。リバー・フェニックス、マーサ・プリンプトン、みなさん適役、これはキャスティングの勝利ですね。 

 クリスティンが絶縁していた両親との葛藤も丁寧に描いて、風変わりな家族の肖像が爽やかな感動を呼ぶ。
 
 このような家族の繊細な心情を描写するルメットのタッチは、冷静に人物たちの行動をありのまま紹介しようと、あくまでも素朴。奇をてらわず、それぞれの行動を一番理解できやすいポジションから切り取っている
 再会した元カレを拒絶した母親を、隅の階段でじっと聞いていたリバーなど、印象に残るシーンが多い。所々で観られるロングショットも、素晴しい情感を生む。愛犬を置き去りにするショットや、リバーとマーサが砂の崖を下り海辺に出るショット、ジュリアードの実技試験で高く評価されたリバーが、喜びを全身で表すように街角を走り回るショットなどがそれである。
 これは、ひとえにシドニー・ルメットが、いわゆる映画を<頭で作らずハートで作っている>証拠だと思う。いい監督だなあ、なんか惚れ直した感じ。 


 

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2009年2月 1日 (日)

『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』 東北新社よ、金返せ!

 KBCシネマで観た。
 1927年トーキー第1作と云われる『ジャズシンガー』以来、ミュージカルや音楽家の伝記映画、ミュージシャンのドキュメンタリーなど音楽の魅力をメインに楽しむあまたの映画が日本で公開されてきたが、外国映画興行史上、最大の汚点、最低の公開の仕方が本作『ザ・ローリング・ストーンズ  シャイン・ア・ライト』である。
 理由は単純、歌曲に歌詞の字幕がついていないからである。
 例えば『雨に唄えば』、ジーン・ケリーが降りしきる雨の中、幸せそうに歩き始め、かの名曲のイントロが流れ出し、『雨に唄えば』の字幕が出る。しかし、続くジーン・ケリーの歌に歌詞がついていないとしたら、どうだろう。恐らく、観客はプリントミスだと考え、映画館に訴えるだろう。ところが映画館のスタッフに「いや、最初からついていないんですよ」と云われたら、どう思うか。私なら配給会社の神経を疑う。いったい、なぜ??
 ミック・ジャガー渾身の歌の訳詞を出さず、歌い終わり「Thank you」と云うと「サンキュー」と字幕で出るバカバカしさ。悪夢である。
 理由として考えられるのは、「ライブでは、字幕がないのだから、それと同じ」あるいは「字幕を出すと、それに眼が向き、せっかくのステージの醍醐味を十分にお楽しみいただけないと考えまして」てなことだ。余計なお世話である。
 歌詞には意味があり、意味を伝えたいから歌うのだ。配給会社が、字幕がビジュアルの邪魔になると考えているのだとすると、翻訳家に対する侮辱になる。
 歌詞の意味を理解しながら、視覚でもパフォーマスを堪能できる映像表現のもっとも素晴しい特性を、あえて捨てているのだ。

 スコセッシは音楽ドキュメンタリーのステージものを監督させたら右に出るものはないほどの逸材で、ドラマを撮るより巧いくらいである。そのスコセッシがこの映画のため、観客の邪魔になるのを承知でクレーンを設け、マルチキャメラを駆使して切り取ったベストのアングルも、色彩映画の保存運動の先頭に立ったことのあるスコセッシらしく、最近ありがちのハイビジョンではなく、予算がかかっても、すべてフィルムで撮影した映像の美しさも、音楽を熟知していないと不可能なくらいの絶妙なモンタージュも、そしてなにより、ストーンズの面々初め、ゲストを含めた当代一流のアーティストたちのパフォーマンスも、日本の観客には歌詞が理解できないので、この作品の神髄は伝わらないのである。
 
 本作は欠陥商品、リコールしてしかるべき。

 かつての名匠たちは、自国以外での自作の公開のされ方を大変気にして、注文を出した。
 デビッド・リーンは『ライアンの娘』の日本題名が当初『夕暮れ』と知り、許さなかった。
 フレッド・ジンネマンは『ジャッカルの日』の日本公開に際して、35ミリを70ミリにブローアップして粒子の荒くなった劇場公開版を、評論家の試写に使わせなかった。もとの35ミリで評価してくれと云う訳だ。
 
 それにしても、日本公開バージョンに歌詞のスーパーがついていないことを、当のストーンズのメンバーや、スコセッシは知っているのだろうか?
 
 

 

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