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2009年2月 1日 (日)

『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』 東北新社よ、金返せ!

 KBCシネマで観た。
 1927年トーキー第1作と云われる『ジャズシンガー』以来、ミュージカルや音楽家の伝記映画、ミュージシャンのドキュメンタリーなど音楽の魅力をメインに楽しむあまたの映画が日本で公開されてきたが、外国映画興行史上、最大の汚点、最低の公開の仕方が本作『ザ・ローリング・ストーンズ  シャイン・ア・ライト』である。
 理由は単純、歌曲に歌詞の字幕がついていないからである。
 例えば『雨に唄えば』、ジーン・ケリーが降りしきる雨の中、幸せそうに歩き始め、かの名曲のイントロが流れ出し、『雨に唄えば』の字幕が出る。しかし、続くジーン・ケリーの歌に歌詞がついていないとしたら、どうだろう。恐らく、観客はプリントミスだと考え、映画館に訴えるだろう。ところが映画館のスタッフに「いや、最初からついていないんですよ」と云われたら、どう思うか。私なら配給会社の神経を疑う。いったい、なぜ??
 ミック・ジャガー渾身の歌の訳詞を出さず、歌い終わり「Thank you」と云うと「サンキュー」と字幕で出るバカバカしさ。悪夢である。
 理由として考えられるのは、「ライブでは、字幕がないのだから、それと同じ」あるいは「字幕を出すと、それに眼が向き、せっかくのステージの醍醐味を十分にお楽しみいただけないと考えまして」てなことだ。余計なお世話である。
 歌詞には意味があり、意味を伝えたいから歌うのだ。配給会社が、字幕がビジュアルの邪魔になると考えているのだとすると、翻訳家に対する侮辱になる。
 歌詞の意味を理解しながら、視覚でもパフォーマスを堪能できる映像表現のもっとも素晴しい特性を、あえて捨てているのだ。

 スコセッシは音楽ドキュメンタリーのステージものを監督させたら右に出るものはないほどの逸材で、ドラマを撮るより巧いくらいである。そのスコセッシがこの映画のため、観客の邪魔になるのを承知でクレーンを設け、マルチキャメラを駆使して切り取ったベストのアングルも、色彩映画の保存運動の先頭に立ったことのあるスコセッシらしく、最近ありがちのハイビジョンではなく、予算がかかっても、すべてフィルムで撮影した映像の美しさも、音楽を熟知していないと不可能なくらいの絶妙なモンタージュも、そしてなにより、ストーンズの面々初め、ゲストを含めた当代一流のアーティストたちのパフォーマンスも、日本の観客には歌詞が理解できないので、この作品の神髄は伝わらないのである。
 
 本作は欠陥商品、リコールしてしかるべき。

 かつての名匠たちは、自国以外での自作の公開のされ方を大変気にして、注文を出した。
 デビッド・リーンは『ライアンの娘』の日本題名が当初『夕暮れ』と知り、許さなかった。
 フレッド・ジンネマンは『ジャッカルの日』の日本公開に際して、35ミリを70ミリにブローアップして粒子の荒くなった劇場公開版を、評論家の試写に使わせなかった。もとの35ミリで評価してくれと云う訳だ。
 
 それにしても、日本公開バージョンに歌詞のスーパーがついていないことを、当のストーンズのメンバーや、スコセッシは知っているのだろうか?
 
 

 

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