『グラン・トリノ』 アメリカも捨てたもんじゃありません
クリント・イーストウッド監督。優れたシナリオを巧い役者に演じさせ、芝居のよいところだけを奇をてらわずにつなげていく作風は、いいかげんな表現の監督が氾濫する中、大変貴重なものだ。
しかし、この監督決してテクニックに長けているとも思えないし、リベラルな世界観を持っているわけでもない。正攻法の映画演出を楽しめる、といった程度の気に入り度。感服したのは『ミリオンダラー・ベイビー』だけで、『ミスティックリバー』はミステリーとして楽しめたが、『スペース・カウボーイ』はエエカッコしいでリアリティに欠け、硫黄島2部作は最新テクノロジーのルックだが古くさい戦争映画だし、『チェンジリング』もまあまあ。それで本作もあまり期待していなかった。
でもこれは傑作です。
余談。『スペース・カウボーイ』の、イーストウッドそっくりのシカメつらを顔マネして、若い時代のイーストウッドを演じたのは、マギー・スミスとロバート・スティーブンスの息子です。
マギーは『ミスブロディーの青春』でオスカー受賞、最近ではハリー・ポッターのレギュラー。ロバート・スティーブンスは、ゼフィレッリ『ロミオとジュリエット』の馬上から叱責するベローナの王子様や、ビリー・ワイルダー『シャーロック・ホームズの冒険』のホームズ。地味ですが、名優夫婦です。
閑話休題。
まずウォルトの人となりの描写が、役者イーストウッドの独壇場で面白い。無作法な孫や日本車のセールスマンの息子が気に入らず、犬のような唸りを漏らす。『ダーティー・ハリー』の頃からか、嫌悪を顔に貼付けたような表情が、この人の看板のようになった。山田康夫の声が聞えたように感じたら、中年の証拠です。
隣家の姉弟と親しくなっていく過程も、丹念でストーリーテリングのお手本のよう。少数民族の風俗も興味深い。唾を吐かれても、アメリカ文化が染み付いていたら引き下がるが、新参のアジア人家族にとっては、ヤングギャングを追い払った恩の方が優先する。押し付けがましいお礼のプレゼント作戦が、とまどうウォルトの懐に入るきっかけとしたドラマ設定には唸りました。結局、アジア人への嫌悪が習慣化しているウォルトだが、礼儀正しく対応されると無碍に断れない性格。おそらく、保守的なアメリカ市民に共通する感情なのだろう。
ウォルトが住む住宅地はすでにアジア系住民が多数派になっているし、銃を振りまわす若いギャングにも手を焼いている。
ウォルトは、フォードで車を作っていたエンジニア。長年フォードで働いたなら鎌田譿の『自動車絶望工場』のような職場の管理職をやっていたはず、と突っ込むのは野暮というもの。
そのウォルトは20前後で朝鮮戦争に従軍し勲章を受けている。アジアギャングに「戦争でお前らのような黄色いガキを何人も殺したんだ」と凄むものの、本当の気持ちが違うことは後で分かる。
復讐を誓う少年に、50年前の武勲が殺人以上のものでない愚行だと告白するウォルト。しかも命令されたわけではなく自発的に殺したことを悩んでいた。私がこの映画を好きになったのは、この戦争観だ。
59年前の朝鮮戦争ではあるが、<民主主義の国民を共産主義の魔の手から守ってやった>武勲を、後味の悪い殺人だと表明しているのだ。ウォルトが年老いたからか、余命幾ばくもないからか、憎むべき黄色い肌の国民が、実は自分たちと変わらない市民だと気づいたからかは分からない。ただ大スターが主演する映画で、アメリカの聖戦にこんな評価を下した作品はあまりない。
『ミリオンダラー』の脚本家ポール・ハギスの傑作『告発のとき』では、イラク戦争が両国の子供を死に至らしめているのが実情だと告白したのに近い戦争観が垣間見える。
そしてなにより素晴しいのは、地味な本作がアメリカでイーストウッド作品として一番ヒットしたこと。それは<民主主義の国民を共産主義の魔の手から守ってやった>武勲を、後味の悪い殺人だという考えに共感したからだ。
現在外国で起った事件や事故は、リアルタイムで日本にも届く。即時性がテレビニュースの真骨頂だが、事件の本質を捉えているかは別の問題だ。巨大企業がメディアを支えている限り、企業と癒着した政府の価値観が最優先する。
がんじがらめのニュースでは、アメリカで反戦を訴えれば非国民のレッテルを貼られる風潮がある、一部少数派の人々だけが反戦を訴えていると報道する。それは事実だろうがアメリカのサイレントマジョリティーの届かない声は、戦争をどう考えているのか。ときとして作り物の世界の方が優れた報道性を発揮することがある。『グラン・トリノ』は、そんな希有な映画だと思う。
一方文句もありますね。
なぜ、主人公は死に急ぐんですかね。エンターテインメントだからといってもエエカッコし過ぎです。余命が少ないこと、ギャングたちに殺人罪を追わせたいという理由だろうが、もっと現実的な解決策がなかったんですかね。
最後の主演作なんでしょ。そしたら、出世作『荒野の用心棒』で、ゾンビのように復活し、ジャン・マリア・ボロンテの度肝を抜いた手があるでしょうに。エンジニアなんだから、車のボンネットを細かく刻んで利用しようとは考えなかったのですかね。
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コメント
イーストウッド信奉者として
曲軒先生が目を留めてくれたこと、うれしい限り。
でも違うかな…という思いもあるんうんです。
米国でヒットした理由は戦争への嫌悪ではなく、
米啄族や色黒人に対する違和感への直感的共感、
一方では優越民族として典型的な白人気質の肯定。
また教養として獲得した、
嫌悪を乗り越える絶対的な理性・正義…
清教徒的な自己統御が美しく酔えるからではないでしょうか。
西部劇は任侠世界、ハードボイルドは浪花節と多くの先達が
喝破している様に、本作品も義理と人情・男の花道、でも
当方は
最終的な決着のつけ方に 美学の違いを感じ取りました。
健さん主演の東映作品なら ならず者の始末を“官”に委ねず
一人で切り込み、自らが罪人としてお縄を頂戴する結末の方が
喝采を受けると踏むでしょう、でもそうはしなかった。
結局 西洋人は“法とか国家”を信頼し切っているのだと、
言うだけの話ですが、
延長線上に、秩序のための制裁~戦争があり得る事になり
やはり一神教は野蛮だなァと感じ入ったのであります。
他方、
先生の仰る「現実的な解決」って,どんな筋が立つのか
独自の曲軒節をもう一息聴いてみたい感の残る論評でした。
投稿: 週五労 | 2009年6月29日 (月) 17時01分
週五労 さま
コメントありがとうございます。
今頃、気がつきました。遅くなり済みません。
ラスト、週五労さんのご指摘の通り、商売上のウリでアメリカ人が好むエンディングになっていると思います。
当方が観たかった現実的な解決とは、ウォルトが殺されない作劇です。『荒野の用心棒』のパロディのように死んだと思わせておいて、チンピラに反省させるやりかたです。
アジア系ギャングがいまだ殺人を犯していなくて、後戻りできる前提になりますが。
殺人を犯さずに済んだ安堵を描ければ、チンピラたちが単なる悪人ではなく、現在のアメリカ社会で沢山いるであろう殺人者未満のチンピラという存在も描け、ドラマが深くなったと思います。
強姦はしていますが、殺人は犯していませんし。
また、銃撃されて命を落とす手段を選ぶことは、結局目には目をという、問題解決を武力に頼っている訳で、朝鮮戦争で少年を殺したウォルトの反省した考えと矛盾しているとも思います。
てなことで、ご理解いただければと思います。
コメントをお待ちしております。
投稿: 曲軒 | 2009年10月23日 (金) 11時15分
包.茎の方がピストンしてる時に、皮がこすれて気持ちいいんだとw
普通に包.茎手術するつもりだったけど、俺の祖.チン人気絶頂すぎるし
やっぱこのままにしとくっす!!!(≧ω≦)b
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投稿: ズ ル ム ケ自慢の奴涙目w | 2009年12月27日 (日) 03時35分