美味

2008年5月 5日 (月)

江戸前鮨の至福

 <福岡の食>は、旅行者として訪れた場合と、住んで楽しむ場合とはでは、大きく異なる。
 東京にいた頃、たまに訪れる博多は、新鮮な魚・もつ鍋・豚骨ラーメンなど、旅行者のほとんどが味わうものを楽しんだ。
 いざ暮らしてみると、もつ鍋や豚骨ラーメンはほとんど箸が向かない。とくに豚骨ラーメンは、化学調味料で頭痛がする。
 博多で美味いのは、食材です。
 魚、とくに鰯鯵鯖の青魚、白身が充実。春の市内で採れる天然のワカメもうまい。穴子の身分が、養殖の鰻より低いのもいい。近くのスーパーで、東京の三分の一くらいの値段で買える。金串で焙り、ワサビ醤油でいただく。
 アサリよりシジミが高いのも面白い。
 鶏肉も野菜もうまい。春先、フキノトウが安く買えるし、タケノコは産地なので安くて美味い。
 牛肉は霜降り天下なので、よろしくない。グラスフェド(牧草飼育だから赤身が美味い)を通販で買っている。
 
 料理となると、これがあまりいただけない。
 醤油が甘すぎるのはお国柄としても、揚げ物など技術が総じて未熟な感じがする。食材が新鮮なので、料理の腕がなくても、そこそこ食わせるものが出来るので済んでいる、そんな印象がする。
 原因はと考えるに、九州中から集まった若者に迎合した結果なのでは。
 
 一方、下町には『かろのうろん』のように、食べ飽きない、美味しいものが残っている。まっとうな居酒屋や料理は、昔からある店がほとんど。かつては多かったが、若者好みの味に駆逐されたのだと思う。

 テレビのいわゆるグルメもののレベルの低さは凄い。
 こちらでは有名な、本も出している女性グルメリポーターが、江戸前の鰻屋を紹介するのに、
 「江戸前の鰻とは、(水っぱなをすする仕草をして)てやんでい!みたいなものです」
 ぶっ飛びました。
 蒸す蒸さない、腹開き背開きなど、まったくご存じないよう。
 この人、<洋食>が、西洋料理をご飯に合うように明治に開発された日本料理だと云うことも知らなかった。
 
 前置きが長くなったが、江戸前鮨だけは、まっとうな店が一軒ある。
 『鮨田可尾』
 10年くらいの店で、8年通っている。
 酢飯に合うように仕事をしているタネが多い江戸前。西日本は白身の質が高いそうだが、当方、あまり関係ない。鮨はバリエーションを楽しむものだと心得ているから。
 小肌、赤身(ヅケ)。ちなみに<ヅケ>はヅにアクセントを置く。慶応から続く『弁天山美家古』で発音していたので間違いない。寝かせて旨味を引き出した鯛、鮃の昆布〆、〆鯖、煮ハマ、塩蒸しの鮑、酢にくぐらせた赤貝、穴子、卵焼などの中から、食べたいものを2つづついただく。
 ご主人は、生真面目不器用、慣れないお客でも、遠慮なく話せば、誠実さは分かると思う。
 燗を頼んでも「熱燗ですね」とバカなことは云わないし燗具合も丁寧、<一貫>などの隠語をお客には使わない、そのへんもちゃんとしている店。
 酒2本くらい、1時間で帰るのがちょうどよい。
 
 本当に不思議、まともな蕎麦屋もない街で、どうしてこんな粋が店があるのだろう。
 
 
 
 

 

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2008年2月16日 (土)

自宅で蕎麦屋酒

 ごくたまに、蕎麦屋酒がやりたくなる。
 『神田まつや』『室町砂場』、池之端や並木の『薮』が恋しくなる。
 「初冬の鴨なんばんが出はじめるころの、平日の午後浅草へ行き、ちょっと客足の絶えた時間の、並木の[薮]の入れ込みへすわって、ゆっくりと酒を飲む気分はたまらなくよい」〜『散歩のとき何か食べたくなって』池波正太郎
 これである。
 粋な蕎麦屋なんぞ望める街ではないので、また、チューブワサビや蘊蓄責めの店(ありますわね、カンチガイしているお店が)はもってのほかなので、自分で蕎麦屋のつまみを用意する。
 『神田まつや』のニシンの棒煮のオリジナルは京都『松葉』、三越で買えます。
 岩田屋で『天一』のかき揚げ、永坂更級の缶入りそばづゆを求め、天ぬきにする。
 鶏肉をゆで、醤油と山葵で和える。『神田まつや』のようにレアとはいかないが。
 もりではなく、そばがきにする。
 大七純米生酛を燗に。
 ささやかな楽しみです。
 

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2008年2月13日 (水)

福岡で蕎麦屋に入らぬ訳

 なぜ入らぬかというと、本当の蕎麦屋がないからである。わたしにとって本当の蕎麦屋とは、酒が飲める蕎麦屋である。こう書くと、当地の方はなにをそんなことなどと云われるが、まあ待たれい。こんなことがあった。
 こちらへ来た8年ほど前、昼間少し酒が飲みたくて、勧められた名店と云われる蕎麦屋に入った。
 「焼鳥ありますか?」と聞いたら、
 「うちは蕎麦屋ですから」と云われた。
 ぼんやり聞いていたので、「蕎麦屋だから焼鳥をおいているはずがない」という意味だと理解するのに時間がかかった。
 「蕎麦屋だから、頼んだんじゃねえか!」なんて心の声をぐっと押さえて、 鳥わさを頼み燗酒でやりだした。
 ちびちび盃を重ねるうちに、変なことに気がついた。どうも鳥わさが妙なのである。そういえば色も変だ。<わさ>のワサビを箸でなめて仰天した。チューブのワサビなのである。
 主な原料はワサビ大根、ホースラディッシュ、ローストビーフにつけるあれである。
 その鳥わさなるものを改めて観察すれば、香りなどなくコケのような気色の悪い妙な緑色に覆われていた。
 蕎麦をたぐる気も失せ、酒を大急ぎでやっつけ出ましたね。
 それだけではない。
 別の<名店>の鳥わさも凄かった。
 鶏肉をさっと湯通しし山葵とかえしなどで和えた普通の鳥わさの形状すらしていないのである。煮詰めたような鶏肉に、ご丁寧にチューブワサビがトッピングされていた。
 この名店驚いたのはそれだけでなく、燗酒の入れ物が、なんとコップのような陶器だった。それならコップで出せばよいものを。徳利の口が狭いのは保温のためだということを知らないのである。
 鳥わさに箸をつけず、板わさを頼むと案の定チューブワサビである。
 ワサビがインチキなので、
 「板わさではなく、<板>だな」 口には出さず早々に出た。
 以来、<福岡で蕎麦の美味しいところ>を人から勧められると、まずもりを頼みワサビをなめて確認する。ほとんどチューブワサビ。
 ある店では、台湾製だかの小さなワサビを鮫皮のワサビおろしといっしょに出していたが、これも鳥わさにはチューブワサビが混ぜてあった。

 行ったところ全滅です。
 驚きました。関門海峡の向こう(こちら)には、東京大阪京都などとは別の価値観の蕎麦屋があったのである。
 ただし、かつての小倉そごうの食堂街にあった『薮』だけは本物でした。須田町のように本筋だと云うと、厨房から板前が挨拶に出た来てくれた。

 酒で憩う蕎麦屋が楽しいのは、材料に手抜きをしないからである。
 蕎麦粉•鰹節•鶏肉•卵•酒など、最高級とはいかなくても質のよいものをそろえるのが身上だ。だから、ありもので手間をかけずに簡単に作れる肴を原則とする。手をかけたり蕎麦に使わない材料をそろえた結果肝心の蕎麦がおろそかになるのを嫌うからだ。
 ありもので手間をかけずに作っても、材料そのものは質がよいのでうまい酒の肴ができるわけだ。
 それを、インチキな材料を使ってどうする。本山葵が高価なら別に料金をとればよいのである。
 
 もり1枚が700円くらいする店が多い。東京の価格にすると、1000円近い値段である。東京でもり1枚1000円とってチューブワサビの店がオープンしたら、どうなるか?
 ネットでコテンパンでしょうね。 

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