映画館

2008年9月 9日 (火)

福岡の映画館主の方々、<入れ替え制>を止めてください

 最近の映画は、どうしてこう記憶に残らないのだろうと考えていたら、一度しか観ていないことに気がついた。東京では10数年前までロードショーでも2度続けて観られた。
 『スターウォーズ』を初めて観たとき、クライマックスの戦闘シーンをもう一度楽しみたくて、『未知との遭遇』も、クライマックスのUFO乱舞を観るため、続けてみた。『スティング』は、2回観て最後のひと勝負に出る前レッドフォードが<口になにか挟む>意味を知り、『叫びとささやき』は大変若かったせいもあるが、続けて観てやっと姉妹たちの苦悩を理解できた。
 
 今は続けて観ようとすれば、当然ながら2倍の料金がかかる。
 お客をバカにしたこんなアンポンタンな制度がいつから始まったのか。
 
 一回しか観られない<入れ替え制>に対して、自由席で何度も観られるシステムを業界用語で<流し込み>と云うらしい。ちなみに、切符売り場を<テケツ(チケットのなまり)>、切符の半券を切る係を<モギリ>。今も云うのかしら。この制度では中央部に白いシートカバーがかかった指定席があり、通常の料金の半額くらい?の指定席料金を余分に払えば利用できた。時間と座席が指定されているので、予約することもできるし。空席があればいつでも利用できた。混雑が予想される場合、並ばずに観たい場合に重宝な手段、一回目は指定席で鑑賞し2回目は自由席で観ることもできた。
 
 全席入れ替え制を始めたのは、おそらく70年代に始まった岩波ホールだろう。東京のロードショー館として席数が200席と小さく、未公開の選りすぐりの名画の上映を始めた。また、シネマスクエアとうきゅうなどが似たようなコンセプトでオープンした。この2館でかかった作品は、日本広しといえども、ここでしか上映していなくて毎回ほぼ満席なので入れ替え制も納得できた。
 90年代、入れ替え制のアメリカ式シネコンが全国に広まり、日本企業経営の劇場も追随した結果、現在のようになったよう。
 
 現在、ロードショーの売り上げの9割が首都圏だと云う。つまり、博多はじめ地方はどこでも閑古鳥が泣いている訳だ。そのような地方映画館の現状で、満員になる場合を除いて、入れ替え制にしている意味はほとんどない。だったら、混雑する場合以外は入れ替え制を止めて、観たい客には何度も観せた方がいいと思う。喜怒哀楽をともにするには、お客は多いほどいいのだ。
 福岡の館主の方々、ぜひ考えていただきたい。損はないはずだ。

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2008年5月 7日 (水)

没後10年、黒澤映画を映画館で観せてくれ!

 黒澤没後10年、NHKBSで全30作を放映している。それはそれで結構なこと、関連ドキュメンタリーも面白いのだが、なんともはや。
 
 東宝(大映松竹もだが)はなぜ劇場で上映してくれないのだろう。オリジナルを観せてしまうと、リメイクに客が来ないから? 先に観せたほうが、リメイクも期待されるだろうに。楽観的かしら。

 ほかのシネコンは知らないが、福岡キャナルシティの映写条件は素晴しい。客席の規模のわりにスクリーンが大きく、シネマスコープの隅々までピントがきれいに合っている。音響も素晴しい。アメリカ製のシステムなのでしょう。
 ここで黒澤作品、とくに『七人の侍』『蜘蛛之巣城』やシネマスコープ作品を観たいのだ。

 昔の名画座はクラシックが観られてよかったのだが、映写条件がお粗末だった。
 60年代、日本映画のほとんどがシネマスコープになったことからか、縦横比1対1.33のスタンダードを映写すると上下が切れる映画館が多かった。
 また、スクリーンのカーブが不正確なので、シネスコ画面の中央にピントが合えば両隅がボケ、両隅が合うと中央がボケて、なんてことになっていた。

 ロードショー館にもいいかげんな映画館があり、20年前の天下の日劇もそのひとつ。
 86年ここで黒澤『乱』のワールドプレミアが開かれ、友人から誘われて行った。監督は見かけなかったが出演者のほとんどいた。
 客席の最前列から10席くらいまでロープが張ってあり、座れないようになっていた。関係者に聞くとピントが正確に合わないので、監督からの指示でそうしたらしい。

 相変わらずキャナルシティのシネコンは、平日の昼間はほとんど客がいない。『大いなる陰謀』では、わずか3人だった。むかしの名画座なら、電気代がもったいないので、招待券と引き換えにお引き取り願っていたような状況である。
 予告編のついでに、<劇場を会議室にどうぞ>と広告があった。やはり、そうとうヒマなのである。
 地方は、どこでもこんなものではなかろうか。

 外資系のシネコンの普及で映写システムが向上しているなら、地方のシネコンは今こそ黒澤作品をはじめ、過去の名作をかけるべきである。

 『赤ひげ』『天国と地獄』は、もともとステレオで作られており、東京と大阪?でのロードショーで公開している。その後、レーザーディスクの発売でステレオ版が作られるまで、モノラル版しか上映されていないはず。
 つまり、黒澤が本来観せたかった『赤ひげ』『天国と地獄』を、ほとんどの人が観ていないのだ。
 <本当の『赤ひげ』本当の『天国と地獄』>なんて企画は、東宝さん、いかがでしょう。黒澤監督には、ずいぶん儲けさせてもらったはずなのでは。

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2008年4月29日 (火)

近ごろ、映画館で感じる2.3の不満

 ひとつめ、予告編。
 いつのころからかは分からないが、予告編が本編の説明をしすぎである。浜村淳ほどではないが。
 勘のいい観客なら、ストーリーの大半の検討がついてしまうほど。予告編が始まると、怖くて、あらぬ方向に目を転じてしまう今日この頃。
 中年の映画ファンとして云わせてもらえば、背景に観客の鑑賞眼が落ちていることがあるのでは。
 『氷の微笑』、観た後でさえ<犯人が分からない>と書いたプロの批評が多かったのを思い出した。

 ふたつめ、劇中に流れる洋楽の歌詞を訳さないことが多い。
 『再会の街で』(Reign Over Me)。歯科医ドン・チードルが、911で家族を失ったアダム・サンドラーとの再会をきっかけに、友情を復活させていく秀作。
 エンドタイトルで流れるのは、ザ・フー『Love,Reign Over Me』(愛よ、僕を支配してくれ)、原題はこれから頂いている。テーマそのものに関わってくる歌詞を訳さない、翻訳者と配給会社の罪は深い。
 テレビでも歌詞のある曲を、ひとつのサウンドと捉えている使い方が目立つ。これは意味を理解することから逃げていることになる。

 みっつめ、カタカナタイトル。
 普通の人が理解できない直訳タイトルが多い。意味を放棄したようなこの風潮は、『ワンス・アポンナ・タイム・イン・アメリカ』あたりから。
 『リバー・ランズ・スルー・イット』『ワット・ライズ・ビニース』『ノーカントリー』、究極のおバカタイトルである。と思ったら、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『アイム・ノット・ゼア』と云う新作があるそうな。
 意味が分からなくても、カッコよい雰囲気があればお客が来ると踏んだ配給会社に、お客がバカにされているのである。配給会社の怠慢以外のなにものでもない。
 最近でもいい邦題はある。
 『あるスキャンダルの覚え書き』(Notes on a Scandal)、ノートとしないで<覚え書き>としたとことが巧い。『きみに読む物語』(The Notebook )、これも雰囲気が出ている。
 70年代までは、話題作と云えども、巧いタイトルが多かった。
 『未知との遭遇』(Close Encounters of The Third Kind)、第三種接近遭遇だとなんのこっちゃ分からない。
 フィリップ・ド・ブロカの名作『Le Roi de Coeur』(ハートのキング)を『まぼろしの市街戦』、
フランケンハイマー『大列車作戦』は原題:The Train、両者、日本語題名に軍配である。
 スウェーデンの貴族とサーカスの踊り子の道行きを描いた『みじかくも美しく燃え』。原題は踊り子の名前:Elvira Madigan。『君といつまでも』『サインはV』の作詞家岩谷時子の傑作。
 気の利いた邦題も映画ファンの楽しみのひとつです。

 なかには、『テキサスの五人の仲間』(A Big Hand for the Little Lady)なる、凄い発想の傑作邦題もあります。作品も傑作だが、タイトルの謎は観てのお楽しみ。

 

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2008年2月18日 (月)

国営のフィルムセンターにて

 市川崑の作品を多く観たのは、銀座並木座とフィルムセンターだった。
 銀座並木座は、なくなった邦画専門の名画座。フィルムセンター、正しくは国立近代美術館付属フィルムセンター。つまり税金で運営されている映画館。
 昨年、久しぶりに、京橋のフィルムセンターへ行った。山本薩夫『にっぽん泥棒物語』を観るためである。
 一階で上映を待つファンのほとんどが高齢者。なかには、杖をついたり、体がご不自由な人も見受けられた。感無量です。通いつめた30年前、中年のファンだった方々が、いまだに通っているのでしょうね。見巧者の方々と、ともに観るのが、ここの楽しみのひとつです。
 ここには、楽しい想い出がたくさんある。
 今のように、特集だからといって、入場料が高くならなかったよき時代。
 鳥羽さんと云う館長さんが素晴しかったからだろう。
 予告なしで、映画評論家の南部圭之助(淀川さんの師匠です)や岸松雄(成瀬巳喜男『銀座化粧』などのシナリオライターでもある)らが解説してくれた。
 お二人とも、戦前から小津や溝口らと交流のあった方です。
 話の楽しかったこと!
 岸さんの、山中貞雄の出征前、小津邸で開かれた送別の宴のお話など、その場にいたから凄い。
 山中が庭の葉鶏頭を眺めて寂しそうに、
 「おっちゃん、ぎょうさん植えたんやのう」
 その庭は、『浮草』の杉村春子の家で再現されている、とか。
 お上の施設にあるまじき<粋さ>もありました。
 南部さんは、吉川満子をヨシカワマンコ、木暮実千代をコグレサネチヨ、とおっしゃるし、岸さんは、原節子がロケ先で夜這いされかけたことなど、とても雑誌などで公にできないお話で会場を沸かせた。
 よく顔を見かけていた観客のお一人が、『無法松の一生』の園井惠子が被曝し苦悶のうちに亡くなった様子を涙ながらに話されたこともあった。

 ビッグネームにも遭遇した。
 待ち時間、狭い階段に座り通行を妨げていて、
 「すみません」の声に、お通しすると、黒澤明だった。

 小津特集『父ありき』の上映前5分に、笠智衆が現われた。なんでも、戦後初めて、この初主演作を観るとのこと。大好きな俳優とともに代表作を観た。なんとも贅沢な時間だった。
 上映後、追いかけて、サインをいただいた。宝物です。
 

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2008年2月17日 (日)

シネコンに名画座を!

 キャナルシティのシネコンを利用していて、いつも気になるのが、平日の空席。混んでもないのに入れ替え制にしているせいもある。もったいないものだ。
 ひとつでも常設の名画座にできないものか。昨年だったか、ミュージカルの特集を安価に上映していたが、さまざまなジャンルで名画座化してほしい。
 ホームシアターが豪華になっても、映画は映画館で観なくては観たことにならない。スクリーンや音の共鳴する空間の大きさといった物理的な条件のほかに、アカの他人といっしょに喜怒哀楽を体験することが大切なのです。
 『アラビアのロレンス』、豆粒のようなベドウィンは、よほど大きなスクリーンでないと見えない。
 『七人の侍』『隠し砦』『天国と地獄』『赤ひげ』はじめ黒澤作品は、まったく別の体験になること請け合いです。『天国』『赤ひげ』のステレオプリントは、地方でほとんど上映されていないのでは。
 配給会社が貸し出してくれる作品に限りがあるものの、2本立て3本立てには、番組の組みようで、いくらでも面白くすることができる。
 有名なところでは、浅草東宝だったか『日本沈没』に『日本誕生』。2本観れば、国造り神話から列島沈没まで見物できるという趣向。
 伝説の名画座『三鷹オスカー』では、『狼男アメリカン』『ヤングフランケンシュタイン』『ドラキュラ都へ行く』、つまり怪物君3本立てである。
 『真夜中のカーボーイ』『クレイマークレイマー』リメイクの『チャンプ』と云うのもあった。ここで、笑った人は、かなりの映画ファン。
 『真夜中』は、ダスティン・ホフマンとジョン・ボイトがニューヨークからフロリダを目指すお話。『クレイマー』は、ニューヨークでダスティンが一人息子と奮闘する。『チャンプ』は、フロリダのジョンと一人息子のお話。しりとりのような番組です。
 映画館でクラシックを数多く観れば、目が肥えてくる。鑑賞力が増す。
 また、まったく予備知識なく観た映画に心奪われるような体験ができるのも名画座のよさ。はるか昔に作られた映画が、自分だけの宝物のような気がしてくるのですよ。

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